西武・中村剛也(User:STB-1 /Wikimedia Commonsより))

西武、主力流出でも低迷しない“ドラフト戦略の妙”【過去最高の指名2000年代編】

 1965年にスタートしたプロ野球ドラフト会議。制度の変遷を経ながら今年まで55回の会議が行われ、数多くの選手が指名されてきた。そこで今回は過去のドラフト会議において最高の結果となった指名について、年代ごとに振り返ってみたいと思う。第5回は2000年代(2000年~2009年)を振り返る。※選手名表記は入団当時。

■2000年代最高の指名:2001年西武

主な指名選手

自由枠:細川亨 1427試合 680安打 84本塁打 367打点 8盗塁 打率.203

2巡目:中村剛也 1664試合 1467安打 415本塁打 1166打点 26盗塁 打率.256

4巡目:栗山巧 1847試合 1825安打 101本塁打 744打点 83盗塁 打率.283

 2000年代、ドラフト会議は度重なる制度変更を遂げる。2001年から逆指名制度は「自由獲得枠」へと名称を変更。2005年からは「希望入団枠」となって最大2名から1名へと減少され、この年から3年間は高校生ドラフト、大学生・社会人ドラフトと分離して行われた。同じ年から育成ドラフトもスタートしている。そして、2007年3月には西武がアマチュア選手に対して現金を渡していたことが発覚。この事件をきっかけに、2008年からは統一ドラフトとなり、希望枠も撤廃されることとなった。

 そんな激動の2000年代で最大のヒットは2001年の西武になるだろう。この年は甲子園を沸かせた寺原隼人(日南学園→ダイエー1巡目)が最大の注目選手だったが、西武はまずキャッチャーの細川を自由枠で確保。そして続く指名も中村、栗山と野手を揃え、全員がチームの主力へと成長した。ちなみに複雑な制度の関係で栗山は「4巡目」となっているが、今の制度に当てはめるとドラフト3位にあたる。

 このドラフトには西武の根本陸男時代の伝統と、新しい成功事例が詰まっている。根本時代の財産は最初に捕手を指名している点だ。1981年に伊東勤を球団職員として囲ったうえで1位指名した話はこのコーナーの第3回で触れたが、根本は正捕手になれると思った素材は必ず1位で獲得している。ダイエー時代の城島健司も大学進学を匂わせたうえで、単独1位指名に成功している。

西尾典文 主任研究員

西尾典文
  • 1979年、愛知県生まれ。大学まで選手としてプレーした後、筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から技術解析などをテーマに野球専門誌に寄稿を開始。修了後もアマチュア野球を中心に年間約300試合を取材し、全国の現場に足を運んでいる

Twitter ID: @ajihiraita