元ソフトバンク・松中信彦(Gaffky/Wikimedia Commonsより)

松中信彦、岩瀬仁紀…90年代“最強ドラフト”はダイエーと中日だ!

 1965年にスタートしたプロ野球ドラフト会議。制度の変遷を経ながら今年まで55回の会議が行われ、数多くの選手が指名されてきた。そこで今回は過去のドラフト会議において最高の結果となった指名について、年代ごとに振り返ってみたい。第4回は1990年代である。※選手名表記は入団当時。

■1990年代最高の指名その1:1996年ダイエー
主な指名選手
1位:井口忠仁(井口資仁) 2408試合 2254安打 295本塁打 1222打点 224盗塁 打率.270
2位:松中信彦 1780試合 1767安打 352本塁打 1168打点 28盗塁 打率.296
3位:柴原洋 1452試合 1382安打 54本塁打 463打点 85盗塁 打率.282
5位:岡本克道 291試合 17勝16敗51セーブ5ホールド 防御率2.98

■1990年代最高の指名その2:1998年中日
1位:福留孝介 2462試合 2395安打 322本塁打 1240打点 105盗塁 打率.283
2位:岩瀬仁紀 1002試合 59勝51敗407セーブ82ホールド 防御率2.31
4位:蔵本英智(英智) 884試合 297安打 11本塁打 115打点 50盗塁 打率.236

※井口と福留は日米通算成績、井口と蔵本は途中で登録名を変更。

 1990年代に入り、ドラフト会議は大きな変革を迎える。それが1993年に導入された逆指名制度だ。社会人、大学生の選手に限り、1位と2位指名の選手に逆指名権を与えるというもので、その後自由枠、希望枠と名称を変えながら2006年まで14年間続くこととなった。

 当初は資金力の豊富な巨人に圧倒的に有利に働くと言われていたが、導入当初に主役となったのが80年代に西武の黄金時代を築いた根本陸男率いるダイエー(現ソフトバンク)だった。1993年にダイエーの監督に就任すると、最初のドラフトで小久保裕紀を獲得。95年からは王貞治に監督を譲った後は裏方に回り、96年に井口、松中、柴原という後の主力となる三人の野手を一気に獲得するという離れ業をやってのけた。

 この年のドラフトの目玉は東都大学リーグ記録となる23本塁打を放っていた井口だったが、それだけでは不足と考えてアトランタ五輪で4番を打っていた松中を2位で獲得。そして柴原は他球団からの牽制がありながらも、ダイエー以外からの指名であれば社会人入りすると明言させて3位で獲得した。当時はまだダイエーは低迷期であり、現場を預かる王監督からは即戦力投手が欲しいという要望があったが、それを根本が抑え込んだと言われている。

西尾典文 主任研究員

西尾典文
  • 1979年、愛知県生まれ。大学まで選手としてプレーした後、筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から技術解析などをテーマに野球専門誌に寄稿を開始。修了後もアマチュア野球を中心に年間約300試合を取材し、全国の現場に足を運んでいる

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