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西武黄金時代への布石 伊東勤と工藤公康を巧みに獲得した“根本マジック”【ドラフト史】

 1965年にスタートしたプロ野球ドラフト会議。制度の変遷を経ながら今年まで55回の会議が行われ、数多くの選手が指名されてきた。そこで今回は過去のドラフト会議において最高の結果となった指名について、年代ごとに振り返ってみたい。第3回の今回は1980年代を振り返る。※選手名表記は入団当時。

■1980年代最高の指名その:1981年西武

主な指名選手

1位:伊東勤 2379試合 1738安打 156本塁打 811打点 134盗塁 打率.247

2位:金森栄治 1048試合 583安打 27本塁打 239打点 11盗塁 打率.270

6位:工藤公康 635試合 224勝142敗10セーブ3ホールド 防御率3.45

 1980年の巨人(1位原辰徳、2位駒田徳広)、1981年の巨人(1位槙原寛己、3位吉村禎章、5位村田真一)、1989年の近鉄(1位野茂英雄、3位石井浩郎)と広島(1位佐々岡真司、4位前田智徳、6位浅井樹)なども大成功ドラフトだが、一つ選ぶとなると1981年の西武になるのではないだろうか。伊東はもともと熊本工でプレーしていたものの、当時西武の監督だった根本陸夫の計らいによって所沢高校の定時制に転入。球団職員扱いの練習生として昼は練習に参加し、夜は学校に通うという生活を1年送っている。いわばガチガチの“囲い込み”であり、他の球団が手を出しづらい状況を作り上げ、満を持してこの年のドラフトで指名した。なお同じように球団職員として1年雇用したうえで指名した例としては1988年の大豊泰昭(中日)がおり、この時の伊東の例を参考にしたと言われている。それだけ西武、根本が伊東を欲しかったということであり、伊東はその期待に応えて3年目から正捕手に定着。長く扇の要として活躍し、黄金期の西武を支え続けた。

西尾典文 主任研究員

西尾典文
  • 1979年、愛知県生まれ。大学まで選手としてプレーした後、筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から技術解析などをテーマに野球専門誌に寄稿を開始。修了後もアマチュア野球を中心に年間約300試合を取材し、全国の現場に足を運んでいる

Twitter ID: @ajihiraita