ドラフト会場

山田久志、福本豊、東尾修…名球会が7人も 1968年ドラフト“空前”の大豊作

 1965年にスタートしたプロ野球ドラフト会議。制度の変遷を経ながら今年まで55回の会議が行われ、数多くの選手が指名されてきた。そこで今回は過去のドラフト会議において最高の結果となった指名について、年代ごとに振り返ってみたいと思う。まずは1960年代からだ。※選手名表記は入団当時。

ドラフト会議の会場に飾られる球団旗

■1960年代最高の指名:1968年阪急

主な指名選手

1位:山田久志 654試合 284勝166敗43セーブ 防御率3.18

2位:加藤秀司 2028試合 2055安打 347本塁打 1268打点 136盗塁 打率.297

7位:福本豊 2401試合 2543安打 208本塁打 884打点 1065盗塁 打率.291

 1960年代のトップは、何といっても1968年の阪急になるだろう。山田、加藤、福本と1年で3人もの名球会入りする選手を獲得するという“離れ業”をやってのけたのだ。この指名は過去55回のドラフトの中でも最高と言っていい指名である。彼らが中心選手となった阪急は1970年代に黄金時代を築き、日本シリーズ3連覇を達成している。しかも、この3人は山田が富士鉄釜石、加藤と福本が松下電器と全員が社会人野球出身というのも面白い。球団がオリックスに変わっても社会人の選手を指名することが多いが、その歴史はこの大成功がもとになっていると言っても良いだろう。

 ちなみに1968年は全球団を見回しても、空前の大豊作となっている。ドラフト会議前に話題となっていたのは東京六大学で当時新記録となる通算22本塁打を放った田淵幸一(阪神1位)とそのチームメイトだった富田勝(南海1位)、山本浩司(広島1位)が三羽ガラスと言われて注目を集めていた。いずれもドラフト1位でプロ入りし、全員が1000本安打をクリア。山本は2339安打、536本塁打、田淵も1532安打、474本塁打をマークし、球界を代表する選手となっている。

西尾典文 主任研究員

西尾典文
  • 1979年、愛知県生まれ。大学まで選手としてプレーした後、筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から技術解析などをテーマに野球専門誌に寄稿を開始。修了後もアマチュア野球を中心に年間約300試合を取材し、全国の現場に足を運んでいる

Twitter ID: @ajihiraita